昭和から続く番組への違和感
1978年(昭和53年)に始まった「24時間テレビ」。
若い頃から、この番組には白けた目で見ていた。
なぜチャリティーでマラソンを走らせるのか?
なぜ身体障害者を「感動演出の装置」にするのか?
アメリカの本物のチャリティー番組を知っていただけに、どうしても比較してしまい、日本版は最初から胡散臭く感じた。
「やらない善よりやる偽善」?
この番組を擁護する言葉として「やらない善よりやる偽善」がある。
確かに、募金によって支援を受けた人がいるのは事実や。
けど、偽善と悪事は全く別物。
地方局が募金をネコババした事件は、その境界線を完全に踏み越えてしまった。
公共電波の責任
ここが肝心や。
24時間テレビは、ただの任意団体の募金活動とは違う。
「公共の電波」という国民の財産を独占的に使っているテレビ局が主催しているという点で、責任の重さは桁違いや。
そのテレビ局が、善意の募金を不正に扱った。
この時点で番組は即中止。
少なくとも「全面的な仕組みの見直し」が最低条件やったはずや。
BPOと総務省の不在
BPOはこれまで「感動ポルノ」問題を取り上げても、結論は玉虫色。
「差別意図はない」とか「放送倫理違反とまでは言えない」と逃げた。
募金の横領は、もはや放送倫理を超えた刑法案件や。
ならば監督官庁である総務省が出るべきやろう。
テレビ局は電波免許を国から預かる立場。
公共性を裏切った不祥事に対して「業務改善命令」や「行政指導」があって当然やのに、実際は動きが鈍い。
結果、うやむやのまま番組は続いている。
還暦からの結論
「やらない善よりやる偽善」──それならまだ目をつむれる。
けど「やる悪=ネコババ」に堕ちた瞬間、この番組は公共性を失った。
還暦の目で振り返れば、24時間テレビはもはや続ける資格がない。
もし続けたいのなら、透明性と責任を徹底した全く新しい仕組みに作り替えるしかない。
これは還暦オヤジのぼやきやなくて、「公共性」という筋の通った話やと信じている。

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